『社会情報学ハンドブック』読んだ

 

社会情報学ハンドブック

社会情報学ハンドブック

 

  「社会情報学」とは何ともよく分からない名前だが、情報技術によって変わりつつある社会を社会科学の方法論を用いて読み解いていこう……ということらしい。情報化社会における経済とか法制度のあり方とかいった話題もあるが、メインはマスメディア・ニューメディアに関する考察である。それらのテーマに基づいて様々な人から寄せられた文章を58篇収録している。

 読んだ感想としてたが、つまらない……とまではいかないが、正直物足りない。一つのテーマに対してたったの4ページしか割り当てられていないので、全体的に掘り下げが浅い。もっとも「ハンドブック」ではあるから、その辺りは仕方のないことか。加えて、一部の文章が古すぎて有効性を失いかけている。携帯電話のネット利用について論考した文章が書かれたのが着うたきせかえ全盛期の2003年である。その先の展開を踏まえて社会をどういうフレームに落とし込んで把握していくかは、読者に課せられた宿題。

 ブックガイドはそこそこ充実しているので、ザーッと読んで気になったテーマに関する本を漁る、というのが一番お薦めの使用法。

 以下、面白かったテーマについていくつか。

 

34 メディアと環境問題

 環境問題がそこに「ある」のではなく、メディアの言説が環境問題を作り出すのだという趣旨の論考。要するに環境問題の社会構成論である。

 考えてみればそこまで意外なことでもなく、例えば『沈黙の春』以前に化学汚染問題が「存在したか」と問われれば答えは恐らく否であろうが、この中でグリーンピースについて言及されている部分が面白かった。曰く、

グリーンピース」は、「虹の戦士」号による過激な抗議運動、政治イベントに合わせて行う記者会見や報告書の刊行などを通じて、絶えずマスメディアの注目を集め、環境問題における「議題設定者」としての役割を果たしている。 

 『社会情報学ハンドブック』 p142

  これ、環境問題とは関係のないある団体の行動原理と非常に似通っている。在特会である。

 

  在特会のあのアジテーションは、別に人前で罵詈雑言を吐くのが好きだとかいったそういう理由でやっているのではなく、「あそこまでしないと在日特権の問題を気にかける人がいないから」ということらしい。汚い言葉を投げることで否が応でも注目を集めさせ、無理やり議題設定者にのし上がってやろうと。

 ついでにイスラム国のあれやこれやについても触れようかと思ったが、環境問題という元のテーマからあまりにも逸脱するのでやめておこう。

 

55 テクノ・ナショナリズム

 敗戦後、GHQに統治された日本において前近代的ナショナリズムは抑圧された。その中で以前からのナショナリズムに代わる形で現れたのが科学技術立国を目指すテクノ・ナショナリズムであり、今の日本人が日本の技術を誇りに思う心理はこのナショナリズムに裏打ちされている。

 と、ここで終わらないのがこの論考の面白いところで、日本のテクノ・ナショナリズムは同時にオリエンタリズムによっても支えられていると分析している。日本の技術がある種異質なものとして西洋で称揚され、その他者からの眼差しがそのまま日本国民にとっての自己の姿へ再構成される。

 最近の例を挙げると、ベイマックスなんかはオリエンタリズムがチラついてるような印象を受ける。あの映画の舞台はどっからどう見ても東工大だし…

 こんな重箱の隅をつついて「ディズニー映画はクソ」などと言うつもりはないが、ディズニー映画のオーディエンス研究は面白そうではある。古いところだと「ドナルドダック」のオーディエンス研究もあったりするとか。

 

ドナルド・ダックを読む

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