ザハ・ハディドの都市デザインにおける「動き」と「コミュニケーション」:ポスト・フォーディズム時代における批判的地域主義に向けて

大学の講義のレポートとして出そうとしたら見事に締め切りオーバーしたのでここで供養します。かなしい
教授用に出すレポなので講義で扱った細かい理論展開は端折っていたりするんですが、後で元気がある時にそこらへん含め加筆するかもですね

1.はじめに

 本記事では、イギリス在住の建築家ザハ・ハディドによるいくつかの都市デザイン、特に2006年にコンペで優勝したイスタンブールの都市Kartalにおける都市デザインに注目して分析を行う。まず、アヴァンギャルド建築における一つの方法論”Parametricism”についてZaha Hadid Architectsのディレクターであるパトリック・シューマッハが著した論考を概観し、コルビジェが「人間の道」とともに提供した都市における秩序性がザハによる「ロバの道」においてどのように宿りうるかを検討する。次に、ハディドにおける建築のアイコン性を指摘し、地域間の差異が形態の差異へと回収されてしまうハディドの都市デザインは彼女の建築と同様資本主義のロジックに留まったままであり、Parametricismは批判的地域主義に擬態したインターナショナルスタイルに他ならないのではないかという問題提起を行う。この問題に対する一つの解答を探るため、ハル・フォスターが著書『アート建築複合態』で記したザハ・ハディド論を下敷きとして彼女の建築の系譜を明瞭化したのち、2000年以降のハディドの建築が観客を流動化させる働きを持っていることに着目する。観客の流動化に伴うコミュニケーションの活発化という可能性から、ハディドの都市デザインはメディアが嵌入した現代の「多孔的都市」においてタコツボ化した文化の間を架橋する触媒としての役割を果たし、極度に流動化したポストフォーディズムの時代における批判的地域主義の一つの実例ではないかという提案を行う。

2.P.シューマッハによる”Parametricism”論 — 人間の道からろばの道へ

ハディドによる都市デザイン案は、彼女の建築と同様極めて流線的である。Kartalにおける彼女のマスタープランのイメージ(下図)において、ハディドの有機的な建築は従来の硬直した都市デザインをあざ笑うかのように天空へと突き上がり、周囲の方形の建物と挑発的なコントラストを形成している。この極めて新未来派的な形態は、しかし、ハディドの建築の美学が要請したものでなくて何であろうか?そこに、都市デザインにおける秩序性・社会性の観点は存在しているのだろうか?これはただの芸術的カオスに過ぎないのではないか?
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 Zaha Hadid Architectsのディレクターであるパトリック・シューマッハは、このような見解を一蹴するだろう。この形態は確かにカオス的であるかもしれないが、それは秩序を持ったカオスなのだ。これが、彼が信奉する”Parametricism”の思想、およびその方法論である。
 Parametricismの思想は、建築におけるその形態から辿るより、むしろ建築設計の道具であるソフトウェア(CAD)の観点から辿る方が理解しやすい。ニューメディアの理論家であるレフ・マノヴィッチは、あらゆる芸術作品の創作過程にますますコンピュータのソフトウェアが入り込みつつある現代において、ソフトウェアという統一的観点からあらゆる視覚文化における美学の成立を図ろうとする”Software Studies”を提唱している。そこで彼が唱えるソフトウェア時代の美学の一つに、「あるエフェクトを、それに付随する幾つかのパラメータを指定することで実行する発想」というものがある。例えば画像処理を行う際に「ぼかし」というエフェクトを選択し、ぼかしの度合いをパラメータとして指定する、といった具合である。P.シューマッハが唱えるParametricismは、まさにこのソフトウェア時代の発想と共進化して生じてきたものなのだ。ハディドとシューマッハは、その土地固有の形態をパラメータに「都市」というエフェクトを実行し、その結果をマスタープランに出力している、と言っても過言ではないだろう。
 P.シューマッハの論(2009)に話を戻そう。彼は、フライ・オットーが行った一連の実験に着想を得て、ハディドの都市デザインにおける秩序性を説明する。フライ・オットーは、都市における分散居住と集中居住をモデル化するために次の実験を行った。まず、水面に幾つかの磁石を浮かべる。これらは互いに反発し合い、都市における「分散居住」のモードをシミュレートする。次に、今度は同じ水面の上にさらにポリスチレンのチップを加える。これらは互いに近付き合い、都市における「集中居住」のモードをシミュレートする。磁石とポリスチレンが置かれた水面において生じたパターンは、現代都市における居住のパターンに酷似していたという(下図)。
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フライ・オットーによる実験。下が実験において生じた都市居住のパターン。P.Schumacher(2009). p.18より
 ここで重要なのは、オットーはパターンを発生させる手助けをしたかもしれないが、彼は厳密な意味では彼の発生させたパターンの作者ではないということである。彼はむしろ、引力と斥力という二つのパラメータを指定し、居住というエフェクトを水面上でシミュレートしてみせただけに過ぎない。
 シューマッハはオットーのその他の実験(例えば複数の地点間を最短距離で結ぶような道路のモデリング)の紹介も行っているが、ここではその詳細は割愛する。ここでシューマッハが主張しているのは、彼およびハディドが製作した都市デザインは実際のところ彼らが厳密な意味で作り出したものではないということだ。地形というパラメータを指定して作り出された最短距離のネットワークは極めて有機的ではあるが恣意的なものではなく、ボトムアップに成立した最短距離という秩序がそこには宿っているのである(下図)。彼らはこれに加えて、「生じた区画の面積に反比例して建物の高さを変える」「土地の東西の横幅に比例して建物の高さを変える」といった秩序を計画に導入し、後のシミュレーションはコンピュータに任せるのだ。シューマッハはその論考においてコルビジェの「人間の道」「ろばの道」を引用しつつ、彼らの計画が持ちうる秩序性についてこう説明する。

Le Corbusier’s limitation is not his insistence upon order but rather his limited conception of order in terms of classical geometry. Complexity theory in general, and the research of Frei Otto in particular, have since taught us to recognise, measure and simulate the complex patterns that emerge from processes of self-organisation. (P.Schumacher(2009). p.18)

 コルビジェがある種の視野狭窄に陥っていたのは、彼の古典的地理学に対する理解のなさというよりも、彼の時代におけるテクノロジーの未発達によるものが大きいのではないかと私は感じる。しかし、いずれにせよ、複雑系の理論を実践のレベルにまで引き込んだParametricismは、その土地の地理学をパラメータとして完全に考慮に入れつつ、これまでにないほど複雑で有機的な都市デザインを生み出すのであり、そして、 —シューマッハの論じるところによれば— ザハ・ハディドはこのParametricismの体現者であり、第三機械時代の建築家にふさわしい、というのである。
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3. Parametricismの欺瞞 — 批判的地域主義か、アイコン的建築か—

 シューマッハが述べるParametricismの思想は、一見すると都市デザインにおける究極の理想を語る心地良い言説のように感じられる。それは一種の普遍的なデザインを志向しつつも、同時にその土地の固有性を完全にその計画に内包しようと試みているからだ。言うなれば、それはインターナショナルスタイルと批判的地域主義の究極の弁証法だ。しかし、この思想は、真の意味で土地の固有性に根ざしたものとなっているのであろうか?
 ハディドが生み出す都市デザインは、良くも悪くも「ザハ・ハディド的」である。例えば彼女によるシンガポールのビジネス地区「One North」のマスタープラン(下図)は、その形態においてKartalにおけるプランと似通っている。彼女の都市デザインは、彼女の建築における流線型というモチーフを反復しているに過ぎないのかもしれない。2つのマスタープランにおいて、表情を失った周囲の方形の建物から浮かび上がるような優雅さで表象される彼女の建物は、有機的秩序への賛美という仮面の下に隠された流線型への純粋に美学的な賛美を図らずも露わにしているのではないだろうか。この2つのマスタープランの間に、「シンガポール」と「トルコ」という地域的差異は果たして現前しているのか?Parametricismというテンプレートに土地の形態に合わせて多少変形を施し、それをその土地に投射しただけのプランが、果たして批判的地域主義の一翼を担っていると主張することは許されるのであろうか?
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P.Schumacher(2009) p.16より
 ザハ・ハディドの建築におけるアイコン性の問題は、新国立競技場を巡る一連のハプニングにおいてくっきりと前景化している。飯島洋一は『「らしい」建築批判』においてハディドを含めた現代建築家のアイコン性への志向を痛烈に批判しているが、彼の論の発端となるのは新国立競技場計画においてハディドの提出したプランを採択した審査委員会への違和感である。建築における被膜のポップさ、高度資本主義において大衆に訴えるアイコン性を極端に追求したハディド案は防災面及び予算への配慮が著しく欠けており、その案を採択した安藤忠雄率いる審査委員会は彼女と共犯関係をなしているというのだ。審査が行われたのは東京オリンピック誘致が決まる前であり、審査委員会は視覚に訴えるこの案を採用することで招致活動を有利に進めようとした。計画の現実性よりも視覚的スペクタクルを重視するこの潮流において、地域に根ざした建築など可能なのだろうか?
 ここで飯島が批判するのは他でもない、審査委員長安藤忠雄の建築である。《住吉の長屋》(1976)(下図)で安藤が実現したのは、「社会性」からの撤退である、と飯島は述べる。「盲目的な経済至上主義へと一気に方向転換していった」当時の日本において、公共性の回復を図ろうとした安藤が作り出した建築があの《住吉の長屋》だというのは、なんとも理解しがたいことである。窓がないコンクリート造りのその建築はひたすら閉塞的であり、それはむしろ公共性・社会性から積極的に撤退しているように感じられる。安藤はこの建築を通して、資本主義への抵抗の素振りを見せながら実のところ資本主義の理論に積極的に加担していたのだ、と飯島は論じる。雨の日は傘なしにトイレに行くことができないといったスキャンダラスなこの建築は、その見た目の強烈なアイコン性をともなって資本経済に流通したのであり、安藤はポップでアイコニックな建築によって建築界のスターダムにのし上がったのだ。この時に捨象されるのは、その土地の固有性・歴史性に他ならない(この建物は本当に「長屋」なのか?)。
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"Azuma house". Licensed under CC 表示-継承 3.0 via ウィキメディア・コモンズ.
 ザハの建築において生じている事態も、安藤の場合と同じなのだろうか?彼女が生み出す都市デザインが、その視覚的インパクトを利用したマーケティングに秀でたものに過ぎず、権力者の富と技術の象徴として利用されるとすれば、そこで土地の固有性は保全されうるのか?Kartalマスタープランにおいて天空へとそびえるあのタワーは、21世紀のトルコで突如現前した前世紀マンハッタンの摩天楼の亡霊なのかもしれない。
 しかし、純粋に資本主義的でない建築など、現代に果たして存在するのだろうか。資本主義はその抵抗運動までもを自身の円環の中に巻き込む。そこでは、あらゆるものがポップでアイコニックである。「ポップである」という一点において画一的となってしまった建築と批判的地域主義は相容れないのではないか。一般的に批判的地域主義の実践者であるとされる安藤忠雄を、飯島はこう評する。

 《プンタ・デラ・ドガーナ再生計画》では、安藤のトレードマークの打ち放しコンクリートは、他の作品と比較して、それほど前面には押し出されていない。この建築に関しては、安藤が歴史性と場所性に敬意を払っているのは認めないわけにはいかない。しかし《プンタ・デラ・ドガーナ再生計画》は、安藤の作品の中で、あくまでも例外的なものである。基本的に安藤忠雄の建築は、幾何学性と抽象性が強く、多くの人がそう考えているほど、歴史性や場所性に準じてなどいない。彼の建築の主軸は、あくまでも幾何学の論理に裏付けられた、打ち放しコンクリートの箱である。(飯島(2014).p.118)

 コンクリートという安藤の作り出したアイコン性から彼自身が逃れることができなかったように、資本主義は固有性の成立を不可能か、ないし困難なものにしてしまう。現代において、固有性を保った建築・都市計画はもはや不可能になってしまったのだろうか。それとも、固有性の保持は資本主義と共存しうるものなのか。

4.直線から曲線へ ザハ・ハディドの美学

 ここで、ザハ・ハディドの建築の系譜を辿っておきたい。彼女の建築はしばしば空間の固有性を保持していると評されており、それは彼女の建築に対する思想と相関しているのではないかと考えられるからである。以下、ハル・フォスター(2014)『アート建築複合態』を参照しつつ、彼女の建築史を「1.シュプレマティスム構成主義弁証法」「2.未来派と表現主義弁証法」という二分法にしたがって考察する。

4-1.シュプレマティスム構成主義弁証法

 ハディドの初期の建築 — それらはほとんどが実際には建築されずに終わったため、未建築などと呼ぶ方が適切かもしれないが — は、シュプレマティスムの影響を強く受けたものとなっている。彼女のAAスクール卒業制作の絵画タイトルが《Malevich’s Tectonik》であるのはこのことの何よりの証拠だ。1983年の絵画作品《世界(89度)》(下図)において、遠近法は歪み、平面図・立面図などの建築の二次元的表象は全て混交され、一つの絶対的空間を形成している。例えば絵の右上部に注目すれば、大地から伸びる高層ビル・線路と電車を連想させる世界の裏側から伸びてきた直方体群・奇妙に歪められたアイソメ図などが並置されていることが確認できる。かつてシュプレマティスムがそうしたように、ここでは上と下・中と外・図と地といった観念は全て失効しており、全ての建築・およびそれを眺める主体は、ある種宙に浮いた形で存在しているのだ。実際にハディドは、初期のプロジェクトにおいて彼女の建物がいかに宙に浮いたものであるかを説明しているのだ。
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 しかし、ここで一つの疑問が生じる。シュプレマティスムの助けを借りて建築を観念的な空間へと持ち込んだのち、どのようにすればその建築を再び現実の大地に接地させることが可能となるのか?フォスターの言葉を借りれば、

とはいえ、いったん宙に放たれたのち、これらの建造物はどのようにして再び接地させられることになるのか?マレーヴィチは、指示対象の発現を抑え込むばかりでなく、観者へのとも綱を解くことによっても、自らの抽象を作りあげた。(中略)これは、絵画におけるラディカルな振る舞い(ジェスチャー)だった。だが、それははたして建築でも有効な振る舞いなのか?こうした浮遊状態のなかでは、対象はもちろんのこと、主体はいったいどこに存在するのか?(H.フォスター(2014) pp.121-22)

 フォスターによれば、建築を大地に接地するにあたり彼女によって援用されるのが構成主義だ。構成主義が純粋に抽象的かつ物質的な彫刻を空間内に固定させたように、彼女はその純粋に抽象的な表象を建築として現実空間内に固定させることができた。実際、ヴラジミール・タトリンが《コーナー・レリーフ/カウンター・レリーフ》(1914-)において作品を空間に浮遊させるためにワイヤーを使用したように、ハディドの初期のプロジェクト《ヴィトラ社消防署》(1990-94)においてはその飛行機の機首を思わせる屋根は数本の棒によって支えられているのだ(下図)。
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4-2.未来派と表現主義弁証法

 上に挙げた《ヴィトラ社消防署》や、また《ローゼンタール現代美術センター》(1998-2003)といった、ハディドの初期プロジェクトにおいては、シュプレマティスムの影響が色濃く見られる。しかし、その後の彼女はシュプレマティスムの直線的幾何学よりも、むしろ曲線・流体といったフォルムをより用いるようになったように感じられる。この変異は突如生じたものではなく、流線型というモチーフは彼女のプロジェクトにおいて徐々に顕在化していったものであろう。ヴィトラ社消防署に関する彼女のHP上のコメントにはこう書かれている。

Conceived as the end-note to existing factory buildings, the Vitra Fire Station defines rather than occupies the space - emerging as a linear, layered series of walls, between which program elements are contained - a representation of ‘movement frozen’ - an ‘alert’ structure, ready to explode into action at any moment.(公式HPより引用)

 ここでいう’frozen motion’ — 「凍れる運動」は、のちの彼女のプロジェクトにおいては流線型の形を取って次第に顕在化していく。フォスターは、ハディドの建築が未来派の運動感覚、並びにそれを制御し抑制するものとしての表現主義の量塊の弁証法よって構成されていることを論じている。もっともここでフォスターは彼女のこの変異を移行というよりも論理の拡張として捉え、彼女の建築はシュプレマティスム構成主義・未来派・表現主義の混合としてあると論じるのだが、これは拡張ではなく移行として捉えた方が見通しが良くなるのではないか。彼女が実際に建てられることとなった初期プロジェクトを通じて「アンビルト」から「ビルト」へと移行するにつれ、彼女の問題は「シュプレマティスムの次元をどう現実へ移し換えるか」から「大地から生成しまた大地を生成し返すマッスをどう制御するか」へと変化してきたのだろう。

5.都市におけるコミュニケーション -- 批判的地域主義の一つの展望

 フォスターは、ある種の彫刻が観者へと現象学的に働きかけ、その彫刻が観者の積極的な活動を促し、ひいてはそれが観者同士のコミュニケーションへとつながるのではないか、という興味深い問いかけを行っている。ここで彼が取り上げているのは美術家アンソニー・マッコールの「構造映画」と呼ばれる一連の光のインスタレーションである。天井から地面に向かって投影される光の線は複雑な図形を描き出しながら緩やかに動き、同時に霧で満たされた空間内において光の軌跡は一種の「光の彫刻」を作り出す。観者はその光を遮ってみたり、地面に投影された光の軌跡を観察してみたり、円錐形をなす光のスポットライトの中に入り込んだりすることによって、その作品と自発的に戯れる。この空間内においては、作品と観者自身という個人的な関係が成立しうるし、また観者同時の関係という公的な関係もまた成立しうるのだ。「ここでは、まったく見知らぬ者同士が形態の錯綜の仕方について論じあう様子が、目撃できる。また、学校の生徒たちがヴォリュームの中で即興のゲームを発明しているのに、立ち会うこともできよう。」(フォスター(2014),p.255)

Anthony McCall: Between You and I
 翻ってフォスターは、このような観者と物体との動的な相互作用がハディドの建築では生じないと論じる。曰く、「皮肉なことにハディドの錯綜した図形では、彼女は観者 — 訪問者を活動的にするより、その動きを引き留めることになりかねない。」(フォスター(2014),p.131)つまり、彼女がシュプレマティスムの絵画をそのまま建築の表象に移行しようとした際に、シュプレマティスム絵画において措定されていた単一の絶対的主体の位置までもが移植されてしまい、また彼女の「凍れる運動」は観者までもを凍らせると言うのだ。私はこの意見には賛同しない。まず、近年の彼女はシュプレマティスムの影響をかなりの程度脱していると考えられるからだ。ハディドが近年の作品のために行ったドローイングにおいても、シュプレマティスム的な遠近法の錯乱は影に潜み、流線型のフォルムによる素描がメインとなっている。よって、絵画において生じていた単一の主体は彼女の近年の建築においてはそもそも存在しないのだ。そして、彼女のいわゆる「凍れる運動」は、しかし観者を相当程度に巻き込むものである。彼女の傑作のひとつ《東大門デザインプラザ》(2007-2013)では、建物にトンネルを開けるような形で敷地を横切る通路が存在するが、そこを通り抜ける際に人々はどこまでが建物の内側でどこからが建物の外側なのか、混乱を覚えることだろう。屋内・屋外にかかわらず流動的に繋がったフロア群もその混乱を促進させる。そこには、一地点で静止して観察する限りにおいては絶対に見取ることのできない構造の複雑性が存在するのだ。
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東大門デザインプラザにおいて建物を穿つように走る通路。ここは一回行ったことあるけどすごかった
 そもそもフォスターは、『アート建築複合態』の中で建築における「構造」と「被膜」という二項対立を一貫したテーマとして扱っている。それは、建築の際の原理においてどちらの成分がより強く出てくるかという観点から整理できるもので、バンハムが理論化した「構造」の代表的な実践者を例えば構造を建物の外に出すことにより内部の空間を押し広げたリチャード・ロジャース(《ポンピドゥー・センター》)、ヴェンチュールが理論化した「被膜」の代表的な実践者を例えば被膜におけるイメージのスペクタクルの創始者とも言って良いフランク・ゲーリー(《グッゲンハイム・ビルバオ》)に求めることができるだろう。そして彼は、現代資本主義においては両者の弁証法よりもむしろ「被膜」の優位が訪れている(それは資本主義における広告とほぼ同義である)としている。ハディドももちろんこの分類においては後者の「被膜」の理論に位置付けられる建築家である。彼女の非常にアイコニックな建築は彼女がイメージを建築に移し替える際に被膜のレベルで実現されるものであり、構造の形態はこの被膜の形態に従事しているというのだ。しかし、彼女の建築は被膜によって完全に支配されている、というのは誇張ではないか?彼女の建築における構造は、むしろ被膜によって完全に覆い隠されているのだ。市場経済に流通するアイコニックな被膜のイメージとは隔絶されたものとして、そこには構造の複雑性が存在する(ハディドの建築の被膜を見て、それが何階建てになっているか正しく推測できる人が果たしているだろうか?)。そしてその構造の複雑性は、マッコールにおける形態の複雑性と同様見る者の運動を促し、ひいてはコミュニケーションへと繋がる地平を見出すのだ。
 都市へのメディアの嵌入がいかに都市文化に変容をきたしつつあるかについて論じた論考集『メディア都市』において、繰り返し議論に上るのが「多孔的都市」という概念である。街頭の大型スクリーンやスマートフォンの画面が溢れる都市において、文化は都市の中に収まるのではなく、それらのメディアという孔から外部へと流出する。そこでは例えば、いかにして日本の文化が「日本」性抜きで消費されるか(『メディア都市』「第7章 世界を駆ける『アイアンシェフ』」)という問題が発生しうる。つまるところ、近年の都市においては「保持すべき地域の文化」が非常に曖昧なものとなりつつあるのだ。そこで起こっているのは、ポスト・フォーディズム的な「ファン文化」の揺籃である。批判的地域主義が保持しようとしたローカリティは、どこに見出すことができるのだろうか?
 安藤忠雄の建築が孔へ閉じこもるものだったとすれば、ザハ・ハディドの建築は孔を開け放ち、孔の内と外の区別を溶解し、孔と孔の間のコミュニケーションを促すものだということができないだろうか。多様化し孤立化したファン文化の間を架橋する媒介として、ハディドの都市はコミュニケーションを促進するある種の生態系を生み出すかもしれない。それも、被膜においては資本主義的なアイコンを維持しつつ、である。
 もちろん、批判的地域主義において焦点となるのは文化の問題一つのみではない。しかし、すべてが資本主義に回収される中で、地域性を保ったインターナショナル・スタイルを生み出す点において、ハディドの都市デザインは一つの答えを導き出したのではないだろうか。今後の高度資本主義における都市デザインを考える上で、ハディドのデザインの重要性はより増していくことだろう。

6.あとがき

 4くらいまでは割と自信に満ちて書いてたんだけど、5でちょっと途方に暮れてしまった感じがある。ハル・フォスターの本は面白いけど、やっぱりハディドの建築が観客を固定化するというのにはちと同意しかねる。あずまんもこう言ってるし:


多分ハル・フォスターの論を自分が完全に理解仕切っていないというのもあるかも。
あと、「批判的地域主義」という術語の使い方はこんな感じであってますかね......建築を真面目に勉強したことはないので用語法に間違いはかなりあるかも......

7.参考文献

ハル・フォスター(2014)『アート建築複合態』鹿島出版会
飯島洋一(2014)『「らしい」建築批判』青土社
石田英敬編(2015)『メディア都市』東京大学出版会
Lev. Manovich(2013). Software Takes Command. Bloomsbury Publ.
Schumacher, P. (2009). Parametricism: A new global style for architecture and urban design. Architectural Design, 79(4), 14-23.